優先席にまつわるエトセトラ

優先席に自分が座っていたら、誰かが目の前にやってきた、どうしよう。

 

最近は圧倒的に譲らない人が増えているらしい。

その理由は「断られて嫌な思いをしたことがあるから」ってのが多いそうだ。

 

状況としてはこうだ。

若者が座っていて、目の前に老人がやってきた。

若者が座席を譲ろうとすると、「私はまだ若い、その必要はない」と。

 

確かに、善意で起こした行動にぴしゃりと反論されるとなんだかな〜となる。

せめて「お気遣いありがとう」とか感謝の言葉が欲しいところ。

席に座らなくても、譲ろうとしてくれた親切心には反応して欲しいところだ。

しかし、その反応を求めるのもどうなんだろう、とも思ったりする。

もちろん「ありがとう」って言ってもらうために席を譲るわけじゃないけれど、

『こうしたら、こうくるだろう、ふつう』みたいな常識の押し付けのようにとれる。

いや、とれません。

ぜんぜん普通。そうくるはずじゃん。でも、今は違うのだ。

席を譲ろうとしても、ありがたがられるどころか、断られる世の中なのだ。

(いや、そんな世の中と断言できるわけじゃないけど)

 

でもでもでもでも、と私は考える。

断ってくる老人はほっときゃいいじゃん。

元気ならそれでいいじゃん。

「そうですか、じゃあ座ります」ってまた座ってもいいし、

気まずけりゃ違う車両に行っちゃえばいいと思うんだよね。

 

傷つきやすいガラスのハートを持った人が多すぎるのかもしれないけど、

そんな若いっていうより精神的には未熟な頑固ジジババに

ひっぱられちゃいけないと、私は思うのだ。

 

「断られて嫌な思いをしたくない」なんて最低な言い訳でしかないのだ。

それで譲らないことを正当化できると思っているのならそれは愚かだ。

断った老人を悪く言う資格すらない愚か者に成り下がるのだ。

 

人間関係を良くする、良好に保つにはそれなりの努力が必要だ。

それを怠れば、すぐに簡単に壊すことができる。

それだけ脆いものだということだ。

 

私には忘れられない出来事がある。

高校生の時だ。

電車に乗っていた。私はドアに近い座席に座っていた。優先席ではない。

座席はすべて埋まり、立っている人がちらほらいた。

私の斜め右あたりに妊婦さんがいたのに気づいた。けっこうお腹が大きかった。

妊婦さんは手すりにつかまっていた。

私は大きなお腹を横目でちらりと見ては、どうしようか迷った。

『譲った方がいいのかなあ』

しかし妊婦さんは元気そうに見えた。

それに私と妊婦さんとの距離は少し離れていたので余計躊躇させたのだと思う。

これだけ人がいて私だけが妊婦さんの存在に気づいてるんじゃなく、

『誰かが譲るかも』という考えが出てきたりもした。

その時だった。

妊婦さんが急にしゃがみ込んだのだ。

そして近くにいた女性が「大丈夫ですか?」と初めて声をかけた。

妊婦さんはか細い声で何かを言ったようだったが分からない。

 

そのあとどうなったか、私の記憶にはない。

早く席を譲ればよかった、という後悔の念以外は。

 

私は席を譲らないことのほうが、もっと辛い思いをするのだと思う。