「ウチのコークは世界一」

綾瀬はるか満島真之介がまあ絵になる。

二人だけの時間はめちゃくちゃ充実している。

そこに欠かせないのがコーク。

どんな場面でも二人の間にはコークが並ぶ。

グラスが二つの時も、一つの時もあるが中身はいつも決まっている。

そして綾瀬はるかが言う。

「ウチのコークは世界一」

最後にハートマークまで見えそうなくらいである。

 

かわいいかわいい彼女にこう言われると、

そうだろう、そうだろう、とつい思ってしまう。けれど。

なんかひっかかってしまう。

何に?

「ウチの」にである。

確かにあの二人のあの時間、あの空間で飲むコークは最高だろう。

うまいに決まってる。

「ウチの」とは「ウチ(家)で恋人と飲む」って意味なんだから。

 

例えば、友達の家に行った時。

「喉乾いたでしょ。さあさあ、これ飲んでみて。

ウチのコークは世界一だから」

と言われても

『はあ?』となるわけで。

 

それでも、なんか「ウチの」って表現がなんか気に食わないのである。

たとえ綾瀬はるかが言っていてもなのだ。

なんかイラッとしちゃうのだ。

 

だから考えた。

続編というかパロディというか、「ウチのコークは世界一」シリーズ。

一つ目は「ウチ」と言えばあの人、

そう、安田美沙子である。

それこそイライラさせるCMになりそう。

「ウチ(私)のコークは世界一」

即『はあ?』となるはずだ。

 

二つ目も「ウチ」と言えばあの人、

そう、「うる星やつら」のラムちゃんである。

こっちは絶対かわいい。

「ウチのコークは世界一、宇宙一だっちゃ。ね、だーりん?」

 

さて、炭酸水でも飲むか。

三浦翔平とちっさいライフル

ドロキュン、というらしい。

確かにドロッとはしているが、全くキュンしないのだが。

私の場合、ビクッとして、フフッだな。

ビクフフなんて一体なんのことやらだし、興味もわかないだろう。

ただいま、絶賛放映中、ドラマ「奪い、愛」である。

 

何にビクッとするのか。

たいていは水野美紀である。

浮気現場を押さえるために、自宅のタンス(?)から飛び出したのは、

なかなかのシーンだった。

 

フフッというのは、鼻で笑っちゃうようなことで、

役者たちはくそまじめに演技しているんだけど、滑稽で滑稽で。

一番笑ったのは、三浦翔平が射的するシーンなのだが、

ここを笑った人は一体どれだけいるんだろう。

倉科カナと三浦翔平が温泉旅行に行く回はけっこう面白ポイントが満載だった。

貸切露天風呂でお互いの好きなところを叫びあったり、

三浦翔平の母親役の榊原郁恵が同じ旅館に宿泊しているのだが、

夜食とかいっておにぎりを持ってきたり。

その中でも射的が最高だった。

射的で使う小さいライフル銃。

三浦翔平はあれの正しい使い方を知っているのだろうか。

ドラマの演出で仕方なくあんな使い方をしたのか。甚だ疑問である。

 

射的はその銃を片手でもち、カウンターにもう一方の手をついて

身を乗り出し、できるだけ腕を伸ばして的に銃を近づけて打つものだ。

銃が的に近づくから的を狙いやすい。

しかし、三浦翔平はそんな遊びはしなかったのだ。

小さな射的のライフル銃をさも本物のライフル銃のごとく両手で構えるのだ。

格好はまあそれなりなんだけど、

なにせ銃がちっちゃい。ちいちゃいのだ。

でもって的を狙う目は嫉妬やら怒りに満ち満ちている。

倉科カナの元彼である大谷亮平の顔が的にダブル。

目を目一杯見開いて、狙いを定める。

でも、ちっちゃいライフル銃。おもちゃのちいちゃい、ちいちゃい銃。

おもろすぎんだろ!

三浦翔平は見事に的を撃ち抜き、倉科カナも大喜び、

「かっこいい」とかなんとか言ったとか言わなかったとか。

 

「奪い、愛」、今後も違った意味で目が離せない。

優先席にまつわるエトセトラ

優先席に自分が座っていたら、誰かが目の前にやってきた、どうしよう。

 

最近は圧倒的に譲らない人が増えているらしい。

その理由は「断られて嫌な思いをしたことがあるから」ってのが多いそうだ。

 

状況としてはこうだ。

若者が座っていて、目の前に老人がやってきた。

若者が座席を譲ろうとすると、「私はまだ若い、その必要はない」と。

 

確かに、善意で起こした行動にぴしゃりと反論されるとなんだかな〜となる。

せめて「お気遣いありがとう」とか感謝の言葉が欲しいところ。

席に座らなくても、譲ろうとしてくれた親切心には反応して欲しいところだ。

しかし、その反応を求めるのもどうなんだろう、とも思ったりする。

もちろん「ありがとう」って言ってもらうために席を譲るわけじゃないけれど、

『こうしたら、こうくるだろう、ふつう』みたいな常識の押し付けのようにとれる。

いや、とれません。

ぜんぜん普通。そうくるはずじゃん。でも、今は違うのだ。

席を譲ろうとしても、ありがたがられるどころか、断られる世の中なのだ。

(いや、そんな世の中と断言できるわけじゃないけど)

 

でもでもでもでも、と私は考える。

断ってくる老人はほっときゃいいじゃん。

元気ならそれでいいじゃん。

「そうですか、じゃあ座ります」ってまた座ってもいいし、

気まずけりゃ違う車両に行っちゃえばいいと思うんだよね。

 

傷つきやすいガラスのハートを持った人が多すぎるのかもしれないけど、

そんな若いっていうより精神的には未熟な頑固ジジババに

ひっぱられちゃいけないと、私は思うのだ。

 

「断られて嫌な思いをしたくない」なんて最低な言い訳でしかないのだ。

それで譲らないことを正当化できると思っているのならそれは愚かだ。

断った老人を悪く言う資格すらない愚か者に成り下がるのだ。

 

人間関係を良くする、良好に保つにはそれなりの努力が必要だ。

それを怠れば、すぐに簡単に壊すことができる。

それだけ脆いものだということだ。

 

私には忘れられない出来事がある。

高校生の時だ。

電車に乗っていた。私はドアに近い座席に座っていた。優先席ではない。

座席はすべて埋まり、立っている人がちらほらいた。

私の斜め右あたりに妊婦さんがいたのに気づいた。けっこうお腹が大きかった。

妊婦さんは手すりにつかまっていた。

私は大きなお腹を横目でちらりと見ては、どうしようか迷った。

『譲った方がいいのかなあ』

しかし妊婦さんは元気そうに見えた。

それに私と妊婦さんとの距離は少し離れていたので余計躊躇させたのだと思う。

これだけ人がいて私だけが妊婦さんの存在に気づいてるんじゃなく、

『誰かが譲るかも』という考えが出てきたりもした。

その時だった。

妊婦さんが急にしゃがみ込んだのだ。

そして近くにいた女性が「大丈夫ですか?」と初めて声をかけた。

妊婦さんはか細い声で何かを言ったようだったが分からない。

 

そのあとどうなったか、私の記憶にはない。

早く席を譲ればよかった、という後悔の念以外は。

 

私は席を譲らないことのほうが、もっと辛い思いをするのだと思う。

野良猫とどう付き合うか、ということ

いつからだろう、もうかれこれ2週間は経つだろうか。

あいつが来るようになって。

 

うちの庭には、二羽ニワトリなどいない。

うちの庭には、丹羽さんなどいない。

うちの庭には、はにわなどない。

うちの庭には、庭には、、、歯になんか挟まってる。すじ肉か。

 

そう。うちの庭には、生ゴミをそのまま投げ捨てる場所がある。

みかんの皮とか、リンゴの皮とか、腐ったたべものとかもろもろを捨てる。

それが時間の経過と共によい土に還ってゆく。

そして、それを畑の土に混ぜて美味しい野菜の元となる。

今まではそこに捨ててあった果物の皮とかをヒヨドリメジロといった

野鳥が食べに来ており、バードウォッチングを楽しんだりした。

珍しいものとしてはイタチなんかも二度ほど見かけたこともある。

 

うちの庭には、結構いろんな種類の生き物たちが訪れていた。

 

そして、突然奴が現れたのだった。

 

ある日、居間でくつろいでいると激しい喧嘩の声がする。

「ふぎゃ〜!!」

「ぅ〜〜ぅ〜〜(低いうなり声)」

猫の喧嘩である。

私は猫の喧嘩が好きだ。

最初はどっちが勝つのか観察するが、

だんだんその鳴き声がうるさく感じられてくるので喧嘩に割って入る。

「ぅわ〜ぉ〜〜」

と私も喧嘩に加わるのである。

猫たちは突然の新たな敵の出現に驚き、こちらに目を向ける。

緊張の糸が一瞬緩む。が切れはしない。

私の方を気にしつつも、あくまで目の前にいる敵に勝たなければならないのだ。

猫たちが再び喧嘩を再開させようと顔を向き直すが早いか、

私も再び「ふわ〜お〜」とさっきよりも幾分本気の声を出す。

私だって負けたくないのだ。(何に?)

猫たちはまたも気を散らされ、こちらを向く。

その繰り返しで猫たちの流血沙汰を防ぎつつ、私も猫の喧嘩を楽しむのだ。

 

今回は鳴き声を聞いて外を見てみると、庭の梅の木に猫が一匹のぼっている。

地面にはもう一匹。

木の上の猫はすでに枝の先端まで行ってしまって、もう後がない。

下の猫はこれからどうするか考え中っぽい。

『どうする?私』

とりあえず、窓を開けてベランダへ出る。

猫たちが私を見る。

私も猫たちを見る。

 

うん。木に上ってる方がなんだか可哀想だ。

ということで大きな音を立てて喧嘩をぶち壊すことにした。

ベランダを足で踏み鳴らすと、地面の猫は一目散に何処かへ行ってしまった。

木の上の猫はどうするのか。敵はもういないよ。

枝を伝って、幹まで行って降りるのか。

と思いきや、伏せた姿勢から一気に体をびゅーんとまっすぐに伸ばして飛んだ!

「跳んだ」というよりまさに「飛んだ」って感じだった。

そして地面に着地するやいなや脱兎のごとくならぬ脱猫そのものであった。

 

あれは縄張りをめぐっての喧嘩だったのであろうか。

喧嘩は私がぶち壊してしまったので多分勝負はついていないだろうが、

あれ以来、梅の木の猫はその下の生ゴミを漁りにくるようになったのだった。

 

〈続く〉